この教材は2006年3月、中学3年生社会科の授業で登場した山下自作のものです。
社会テーマ学習 「守るべきもの①」
文:山下 由美子
中学3年生の皆さんにテーマ学習の授業をする時期になりました。いろいろ伝えたいことはあるのですが、なかなか絞りきれないので、困っていました。
そんなことを考えていると、大昔の私の中学3年生時代のころを思い出すことになりました。そうです。私にも多感な中学3年生時代があったのです。
時は1969年。日本中が大きな話題で沸いていた時期でした。
それは日米安全保障条約の更新問題でした。一般に「70年安保」といわれる問題で沸騰していた時でした。日本とアメリカは安全を保障することを約束して、アメリカの軍隊が日本領土に基地を置くことをこれからも許すかどうか・・・・・ということを決める時期だったのです。平和憲法の日本にアメリカの軍隊が駐留するということには、たくさんの日本人が反対するところでしたが、アメリカに守ってもらわないと、日本独自の軍事力を憲法上保持できない状況では仕方がないと・・・と感じる日本人もいました。政府は非常にアメリカと強い協力関係にあったので、もちろん継続する考えです。この当時、日本は高度経済成長の波に乗って、GNPが世界2位、経済的には超強い国になっていました。多額の軍事費をアメリカに肩代わりしてもらう方が、経済的に得と判断する人もいました。
まず、前年1969年から、大学のキャンパスで運動が始まりました。東大医学部のインターン制度から端を発した学生たちの社会へ問いかけは、全国の大学生の「学生運動」という形になって、日米安保論争を巻き込んで、日本中が「嵐の時代」へ突入するきっかけとなりました。
日本は今もそうですが、学歴社会の国です。中学卒、高校卒、大学卒・・・と給料の額が違うのです。主なポストも大学卒がしめます。いわゆるキャリアです。出世するのは大学名で決まるわけで、同じ大学出身者が閥をつくり、社内人事で便宜を図るという事情もありました。その大学の頂点にあったのが、国立大学の東京大学だったのです。東大に入ることが社会的ステイタス(地位)を得る一番の方法だったのです。その東京大学から運動が始まり、学生たちの主張は日米安保反対にとどまらず、「大学解体」を唱え始めました。自らその地位で安泰することを選ばす、東京大学を頂点とする、学歴階層社会をも、学生たちは否定していったのです。学生たちの目標は「革命」だったのです。その思想的根拠は社会主義や共産主義で、マルクス、レーニンをバイブル(聖書)として、日々、主張を展開していました。アジ演説をし、アジビラを配り、デモで気勢を上げていました。アジはアジテイト(agitate)の略で、「激しく揺さぶる・激論する」の意味です。毎日、東大の学長代行が学生たちにつるし上げられる映像がニュースで流れました。その当時の大人たちは大変でした。一生懸命働いているのに、熱くなった学生たちに「今の現状に満足している腐敗した存在」として糾弾されていたのです。
中学3年生だった、私は学校の先生を自分の論理で反論する・・・・、その姿にしびれてしまい、訳も分からず、大学生の動きに注目していました。
学生運動と並行して、日米安保反対闘争は、ベトナム戦争反対運動という動きも伴っていました。アメリカはベトナムに爆弾を落として自分の言うとおりの国にしようとしていました。ベトナム人は軍事力の圧倒的差にもかかわらず、必死に抵抗して戦争は長期化していました。「ベトナムに平和を市民連合」、略して「ベ平連」という市民運動が主にキリスト教会を中心にして、静かなデモを行っていました。学生のデモとは違って、ゆっくり「We
shall overcome ♪」などを歌って歩くデモでした。
私は地方都市「姫路」で中高一貫のキリスト教のミッションスクールに通っていました。毎日聖書と賛美歌の生活でした。そんな中、靖国法案(靖国神社を国が守る法案・・・憲法違反として各宗教団体が反対)に反対声明を出し、ベトナム戦争に反対を表明するクリスチャン(キリスト教を信じる人)の存在に新鮮な思いを抱いていました。
一方、日々の説教の中で話している内容とやっている行動が一致しない学内の先生をみていて、クリスチャンなのにおかしいなと疑問を感じていました。ミッションスクールの先生はクリスチャンの場合、説教の当番が回ってくるので、生徒の前で宗教的な話をするのでした。当時の私はチャペルで「神が万物を創造した」と話すクリスチャンの先生が、生物で進化論に基づいて授業をするのを矛盾と捕らえていたのです。
日米安保、学生運動、ベ平連・・・・・。これが1969年多感な中学3年生だった山下由美子の頭の中で整理されず、混沌と存在していたのです。
私は毎日、学内の先生と衝突しました。ミッションスクールとはキリスト教中心に教育が行われる学校です。「神の前に敬虔な心」を持つことを目標とする学校。女子だけなので当然規則が厳しくなります。一つの例をあげます。冬になるとみんなマフラーを巻いて登校します。そのときのマフラーの巻き方が校則で決められていました。マフラーの端を両方とも全てコートの中に押し込んでしまうのです。だから、マフラーがかさばって大変です。一般の肩のあたりで交差させて前と後ろで垂れ下げるやり方はアルファ巻きと言われていました。「アルファ巻き禁止」という校則があったのです。
これに私はカチカチッと来ました。まず、毎日アルファー巻きで登校する私にクラスの担任がとがめ立てをしました。校門で呼び止められた時の会話。
先生「山下さん、マフラーは全部コートの中にいれないとね」
私「なぜ、ですか?」
先生「なぜって、校則だからですよ」
私「なぜ、アルファー巻きが禁止されているか理由を教えて下さい」
先生「理由って、それは危ないからしょ」
私「どこが危ないのですか」
先生「車が接近したとき、マフラーで巻き込まれることもあるし、悪い人が端と端をひっぱ って首をしめるかもしれないし・・・・」
私「車が接近した場合はマフラーくらいで引っ張られることはまずないし、悪い人を想定す る意味がわかりません。マフラーで公衆の面前で首を絞める人は素手でもしめるでしょう 」
先生「でも、とにかく校則は校則。守ってもらいますよ」
私「いいえ、禁止には従いません」
こういう論争は日常的にありました。とにかく決めごとの多い学校だったのです。ソックスは肌色、それも指定店で購入すること。ボーリング場出入り禁止。当時はテレビでもポーリングの番組がたくさんあって、国民的スポーツとなっていました。
私は中学3年生になったとき生徒会に入りました。その中で前出3つの校則を一つ一つなくして行きました。これは風紀委員会という委員会の中で提案することから始まります。校則の根拠のなさを生徒たちと話し合います。そして、風紀委員会の担当の先生から校長先生に「生徒の提案」を伝えてもらうのです。思ったより、すんなり校則が変わったことを記憶しています。
ただ、3つめのボーリング場出入り禁止条項をなくす際はひと問答ありました。一人の先生に呼び出された私と先生の会話です。
私「ボーリング場出入り禁止をなくして下さい」
先生「ボーリング場は風紀が悪いぞ。そんなところに行く必要はない」
私「行くか行かないかは、私に決めさせて下さい。」
先生「ボーリング場は金儲けの場所だぞ、そんな無駄なお金をつかうな」
私「どんな風にお金をつかうかは私に決めさせて下さい」
先生「おまえはそんなにボーリング場をいい場所だというのか」
私「本当にあなたは理解できないですね。私はボーリング場出入りを奨励してとは行って いません。禁止するのをやめて下さい、といっているのです」
先生「屁理屈言うな、ボーリング場なんていかなくていい。本当はスケート場も問題だ」
私「違いがわからないのですか?奨励しろとはいってない、禁止するなといっているんです。どんな場所へも自分が決める自由を与えて下さい。私がここでボーリングの楽しさやボーリング場の安全を言うのは意味ないのです」
こんなやりとりを先生と熱くなってやっていた覚えがあります。最終的には学校も反対しきれないで、アルファー巻き、ソックスの色は白もあり、ボーリング場出入り自由という判断をしました。その答えを聞いたとき、周りの不自由を感じていた私の友人たちは手をたたいて喜びました。「山下さんが文句いったからな、サンキュー」。でも、なんだか私は当たり前のことが通っただけと、特別の感動もありませんでした。かえって、こんなに簡単になくなる規則を何年も後生大事に守ってきた今までが馬鹿馬鹿しく、そして苦々しく思った覚えがあります。とにかくあまり可愛くない子どもでした。
そんなやりとりの中で思い出す先生とのバトルがあります。
先生「山下さん、あなたは規則をなくせといってくるが、道路の信号機がなくなったらどうなる?なんでも規則をなくすととんでもないことになって困ることがあるよ」
私「先生は肌色ソックスを強制する規則と、交通ルールの根本的差がわからないのですか」
先生「じゃ、待ち合わせの時間を守らないのはいいの?約束も決められたことじゃない?」
私「・・・・・・言葉なし(本当にその違いがわからないのか)(失礼ながら、頭悪いんじゃないか・・・・・・)」
そのとき、本当に話す意味がないほど、全ての決めごとを味噌糞に一緒くたにしている先生に同情しました。
①肌色ソックスを着用する
②交通ルール
③人と約束したこと
これらのそれぞれは「守るべきこと」として同じように存在しますが、性質が違います。
ここからがみんなで考えたいことです。
そして、50を過ぎた今の山下からもっと、難しい④のルールを加えて、皆さんに違いを問うてみたいと思います。
①肌色ソックスを着用する
②交通ルール
③人と約束したこと
④食べる前に「いただきます」という
①~④の事例として生徒達があげたものを次の週に、みんなで分類していきました。その作業の中でどのルールが一番守るべきものなのかを話し合いました。
社会テーマ学習 「守るべきもの②」
ホームページのコラム「山森ばなし」より
2006年3月3日 12:38:00
今朝の話。山森とは全然関係ありませんが、山下も歩けば、事故にあたるという話です。
いつのも道を歩いていたとき、もう少しでバス通りに出るという20m手前で前方で大きな音がしました。
はっと見ると、スローモーションで自転車と人間が車に引っかけられて、私の視野の左から右に流れていきました。人間は肩の辺りを相当、車体にアタックされている感じで、一瞬のうちに美容院のビルの陰になりました。身体は逆さまになっていたようでした。
私は急いで前進して被害者を捜しました。対向車に被害を受けてないといいがな・・・、見るのが怖いな・・・と小走りになりました。すると、道路の脇で自転車を必死で起こす男の子がいるのです。顔面は蒼白、ぶるぶる震えて、声がありません。ただ、外傷がなく、肩のあたりがゆがんでいる程度で立っているのです。「この子は運がいいや」と思って声をかけました。「立って平気?病院行った方がいいよ。」すると小太りの年配の男性が近づいてきて、その子に話しかけて、しきりに携帯電話をいじっているのです。私は当事者同士が名乗り合っているのかと、思って行きすぎようとしました。
すると、自転車をおこした男の子がすっと自転車で立ち去ろうとするのです。あわてた私は「だめだよ、そのままじゃ、いろいろ伝えってから、病院でみてもらわないと、名前や連絡先を聞いたの?」と男の子に聞きましたが、彼はどんどん離れていきます。運転していたその年輩の男性は「いいから、高校の名前わかっているから・・・」とよけいなことを言うなとばかりに私をにらみます。私はどこの高校と訊ねました。そばで見ていた通りすがりの男性も「このままじゃだめ、きちんとしなきゃ・・」と男の子と運転していた男性に伝えましたが、男の子は立ち去り、もう一人は「大丈夫、高校に連絡するから・・・」と私たちを取り合いません。
私とその通りすがりの男性は憮然として、その後どうしたものかと思案することになりました。でも被害者もその場にいないし、出勤の時間もあるので、むちゃくちゃ心を残しながら、「高校に連絡する」という言葉だけを頼りに、駅のホームに向かいました。高校に急いだ彼を追いかけたせいで、現場から少し離れ、そこからは事故車のナンバーを確認するのは遠かったので、そのまま駅に行ってしまったことを電車に乗ってから、深く悔やむことになりました。
4つ先の目的の駅で降りたときには、この悔やむ気持ちが増大して、即、仕事場のパソコンを立ち上げて、男性が告げた都立高校の電話番号をネットで調べ、すぐ電話しました。電話にでた職員は「すぐ生徒で事故に遭った子がいるか」調べるといっていました。どうもどこからも事故の一報は入ってないらしいです。そして当時の状況をたくさん質問されました。車は黒や白やシルパーなどのトーンの色ではなく、黄土色か茶色か、または中間的な暖色系。セダンじゃなく、たぶんステーションワゴン系。運転の男性は50から60くらいの年配。 短躯小太り。緑色の作業服(きちんとした仕事着)を着ていました。職員の方いわく、「生徒は学年末試験で急いで登校したんでしょうね・・」。
高校に連絡したのはすでに事故から30分ちかく経過の8時55分だったので、どれだけ役にたつか不明でしたが、いちおう山下の連絡先を告げて電話を切りました。
いろんな書類仕事に追われ、いつも何か考えごとをして過ごしています。昨日も生まれて初めて電車に折りたたみ笠を忘れました。今朝の事故の際も書類のことを考えて歩いていました。今から思うと、もっと大人として適切な動きがあったはず。
これが悪質な当て逃げ事件にならないことを祈りつつ。子どもに被害に遭ったときの心得を伝えておく重要性を感じながら、コラムに記録させていただきます。
このケースの驚きは、高校生が自分の身体より試験に遅れることを優先したこと。いきなりな事故で自分を失っていたとしても、あまりにも危険な行為です。頭をうっている可能性もありますから。そして最大の驚きはドライバーが本人の言葉をいいことにして、救急車も警察も呼ぶことなく、きちんと処理しようと助言するまわりを無視して、できることなら、何も無かったことにすませようと行動したことです。前者はこれからの課題です。後者は運転者として責任を問われなければならない行為だと思います。
自転車通学の子どもを持つ母親として、また一人の大人として、この出来事は十分、私の血圧を上昇させてくれそうだったので、早速安定剤を飲んで、再び書類仕事に戻りました。
登場人物三者について、自分だったら・・・・。
①自転車の少年
②事故の運転手
③通りすがりの山下由美子
①~③の立場で自分だったら、こうすると意見を書いてもらい、次の週発表しました。山下の中途半端な態度も批判をうけました。あとあとで心を残すなら、その時しっかり行動しろと・・。
社会テーマ学習 「守るべきもの③」
「守るべきもの」シリーズも最後となりました。
今まで、山下の中学3年の頃の話や先日の目撃事故の話などを題材に「守るべきもの」をテーマに考えてきました。「みんなの意見」のプリントも今日、出そろい、自分以外の人がどんな風に感じているか、どんな言葉でまとめていたかを知ることができました。
みんなの書いてくれた文をまとめていると、みんなの感じている事柄がふあっと浮いてきます。表現は少しおかしかったりしても、感じていること、伝えようとしていることに「自分の基準」があることが分かります。もう、みなさんはこの「自分の基準」を持っている人間だということが実感できて、「これはもう対等だな」と少し構えてしまった山下でした。対等という意味は山下もばっさり切られる可能性があるという意味です。
これからの文はもう定期的に話すことのなくなってしまう皆さんにむけての、私の贈る言葉です。
①大人という意味
先に、もうすでに皆さんは「自分の基準」を、持っていると書きました。この「自分の基準」はみなさんが30歳になっても50歳になっても、核の部分は変わりません。たくさんの友達や先輩、先生と出会い、たくさん人を好きになり、楽しい時間を過ごしたり、うまく自分を表出できないジレンマに悶々とした夜を過ごしたり、誤解や無理解に体を丸めたくなったり・・・、といろいろな経験を積んでいくことでしょう。
15歳が大人になるということは核となる「自分の基準」にたくさんの経験からくる「情報」とその情報を整理、分析、統合する「処理技術」が加わっていくことだと思います。だから、年を経たから大人になるわけではないのです。
かなりの辛さを伴いますが、いろんな場面で感じたことから「情報」を取り込んでその場面から情報を使いこなす「技術」を学んで大人になるのです。
一つ例を挙げましょう。
花子さんと太郎くんは中学校を卒業して、別々の高校に進みました。高校になってからは中学の時のように毎日会うわけには行きません。そこで、花子さんは毎日メールを送って、太郎くんと心を通じ合わせようとしました。朝起きてから、「ハートマーク」着きのメールをせっせと送っていました。
花子メール「おはよう 」
・・・・・
でも、太郎くんからは返事がありません。それもそのはず、サッカー部に入部した太郎くんは毎日の練習で体力の限界を迎えていたのです。中学の部活と違って高校の部活は練習量も練習メニューも格段にハードです。夏前までに新入部員が半減すると言われているくらい、激しい練習をしている最中でした。そんな中、早朝にメールされても、気づかす寝込んでいる太郎くんでした。
必死の思いで起きて、ばたばた朝練に向かう太郎くんはやっと、お昼過ぎにメールに気づきます。
太郎メール「おはよう、もうこんにちか。何か用事?」
花子メール「なぜ、すぐ返事くれないの?」
太郎メール「ごめん、部活で疲れて寝込んでいたから」
花子メール「もう、私のこと好きじゃなくなったの・・・?」
こうなると太郎くんは返答に困ります。部活の練習でくたくたなことと花子さんを好きかどうかは別の次元の問題です。
一方花子さんはこういう事情がありました。
花子さんは中学校の頃は割と明るくて活発な性格でした。友達もたくさんいて、人付き合いも上手な方で、男子からも明るくてしっかり者という評価をもらっていました。花子さんは家では両親とも働いていたので、家事も受け持ってやっていました。高校を選ぶ時に両親の進める少し高いレベルの高校を選んだため、結局失敗して、滑り止めの私立高校に進学することになりました。その私立高校も滑り止めながら、いわゆる大学進学を第一の目標としている私立高校で、入学式の初日から受験指導っぽい説明があるほどでした。
いままで人間関係で悩んだことのない、花子さんは初めて大きな壁にぶつかりました。それは第二希望で入学した高校への、気持ちの切り替えがうまくいかないで、「この高校が私の居場所なのかな?」と感じるようになっていたのです。そう感じると友達を新しく作るのもおっくうになりました。一人でお弁当を広げる毎日が続きました。
こういう重たい気持ちを引きずって5月6月と季節は進んで行きました。
太郎くんとは中学校からの仲の良い関係でいつも学校の帰りにはたくさんいろんな事を話しました。本当に心から分かり合える特別の友人でした。花子さんはこの時期、ステディな(親密)な関係にある太郎くんに優しく言葉をかけてほしかったのです。
さあ、ここからが2人の深刻なストーリーです。
太郎くんの事情、花子さんの事情・・・。両方とも分かっている人はこの世にはいません。これからこの二人は「自分発の情報発信」をしなくてはいけない局面なのです。
太郎くんは『部活の練習に体力が追いつかないこと』
花子さんは『第一希望の高校に進めなかったので、自分の中の挫折感を乗り越えられないで憂鬱なまま日々を過ごしていること』
もし、太郎情報が相手にうまく発信出来なかった場合、花子さんは「太郎くんは高校にはいって変わってしまった。私立にいった私にはもう興味がなくなったんだ。今の高校にもう彼女ができてしまって、私は捨てられた・・・。」と被害感情を深くすることになり、鬱々感はさらにつのります。
一方、花子情報が相手にうまく伝わらなかった場合、太郎くんは「うざいな、女子は。付き合うってことはこんなにも束縛されるなら、別れた方が自由でいいや。」・・・・とこうなります。結局、2人とも相手のせいにして、関係がそこで途切れることになります。
若いということは情報が少なく、その情報の処理技術が拙いことと前に書きました。この2人にとって、「自分発の情報発信」そのものが拙くて、判断の前に集める情報の量が不足していたのが大きな原因です。幼い自我を持っている者は自分情報を相手に伝えることを恐れ、「言わなくても分かってよ」と相手に仙人のような千里眼を要求しますが、逆に相手の事情を感じようとするセンサーのスイッチは切れたままにしておきます。
幼い2人が高校に進学して別れることになる定番の道筋です。
【余談ですが、たぶんこの2人がうまく情報発信を行って、相互理解を果たしていたら、太郎くんは夏を過ぎた頃、体力がついてきて、春ほどの疲労感を感じないで、部活も他の時間も楽しめる余裕が出てきます。そして、花子さんは自分の気持ちを誰かにぶつけること、つまり「自分は頑張ったんだけど、第一志望に落ちて悔しい!」と伝えることで、今の選択した高校に落ち着くことになります。】
花子さんと太郎くんのその後はいろいろに考えられます。2人がそれぞれの情報を共通し合い、そのことについて2人で出した判断がはっきりしていれば、同じ事でけんかしたリする局面はなくなります。ひとつ、ひとつのことを2人で共通して処理していく課程が「つきあう」ということだと思います。
本当に「つきあう」こととは自分発の情報を相手にストレートに発信し、2人で共通理解して、「さてどうしよう・・・」と積み重ねていくことなのです。もちろん、けんかがその端緒を開く場合がおおいです。けんか大いに結構。どんどんけんかして、お互いの情報発信を活発にして、積み上げていけばいいのです。どちらが無理をして痛みに鈍感になっていたり、関係を壊したくないばかりに、自分発の情報を相手に発信しないのは、最終的には「縁」のない2人だったということになります。
恋愛を想定して話を進めましたが、これは人間関係にすべて当てはまることで、大人になるということは、情報を集め、そこから導かれる処理技術が向上することなのです。
②大人になっても
次に大人になっても、核となる「自分の基準」は変わらないと書きました。大切なのは今のその核となるものをずっと磨き続けることです。
世の中には、大人とは『自分の基準」を捨てて、周りのスタンダードにあわせること・・・と定義する人がいます。すごく愚かなことだと思います。
福島と私は初めてのお店に行っての帰り道、どちらかもともなく
「せ~の~」・・・・ 『3』、『3,5』
と数字を言います。店の中では、一切評価を口にせず、店を出てから判定するのです。
相手の評価と自分の評価をぶつけて面白がっているのです。だいたい評価は0.5以上ずれることはありません。ところがこれが苦手な人がいるのです。味に自信が持てないので、評判のいい店に行きたがったり、他人の評価を聞いて店の評価を学習する人などがいるのです。
自分の基準は感覚です。
その根拠を聞かれると、『だって、そう感じるから』とちょっと乱暴な答えになってしまうくらい、自分発の感覚です。ただそれが基準たりえるのは、普遍性があるからです。気まぐれに「だってそうなんだも~ん」といっているのではなく、いつ聞いても同じ答えが返ってくる基準だからです。
自分の基準は料理の味にとどまらず、全ての場面で登場します。服装、音楽、味、食べ方、体の動かし方、人のほめ方、人へのクレームの付け方、人への優しさの表し方、約束の仕方、守り方、謝り方、相手の懐への入り方・・・。こんな事まで感覚か・・・、とびっくりしますが、習慣になってやっていることも、感覚からやはり出発していることが多いです。
感覚という言葉がしっくりこない人には、その人の美意識と言いましょう。人は挨拶の一つをとっても、美しさを意識してやっているのです。言葉を選ぶことはその代表です。自分の心を占領しているものに言葉を当てた場合、どれもしっくりこないで言葉が出ない人は多いです。極端に言葉が出ない人は、心を占領しているものをより、美しく言い当てたい願望が強く、それに負けてしまった結果の人が多いです。
今山下がやっている行為を統率しているのは、自分の基準であり、山下の感覚であり、山下固有の美意識です。表現したい何かがあるのですが、あっちこっち、うろうろして自分のそのもやもやした考えを言葉という器にいれている作業です。ろくろを回して、器が出来る感じにも似ています。何度も読み返して、気に入った部分だけを残して行きます。そして最後に読み返して、山下の気持ちの中にあった正体を自分で確認して、作業を終わるのです。それまで山下は自分の美意識の導くままにキーボードを打つしかないのです。
「自分の基準」の話が長くなりました。私がみなさんに求めることは大人になって情報収集、情報処理に卓越しても、これをなくしてはスカだといことです。人間にとってこのことは魂だということです。
「人がなんと言おうと・・・」といって生きることはすごく生きづらい人生です。周りと折り合ってこそ、和が生まれます。私はみなさんにこの「自分の基準」を磨きつつ、人と折り合って和して生きていって欲しいと注文しているのです。結構ハードな要請です。
それが本当に大人になるということです。
最後に。大人になった皆さんと居酒屋でお酒を飲むのを楽しみにしています。そんなとき、昔の丹誠塾の思い出話しか話題に出せない大人になっていないでね。今の自分、今の興味、今の自分基準も大きな顔で伝える大人になっていて下さい。私も頭を柔らかくして待っています。対等だから、ばっさりやられる危険も感じて。
2006/03/11 山下由美子
この教材を最後に山下の社会科担当はなくなりました。最後の授業となりました。
(太字は2009年7月に加筆しました)